怨に遠ざかるの道は、一箇の恕の字にして、争を息むるの道は、一箇の譲の字なり。〔晩録二一三〕
(人から怨まれないようにする道は、恕の一字、つまり思いやりにある。争いごとをやめる道は、譲の一字、つまりへりくだり譲ることにある。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
恕
どこまで人を思いやることができますか
のらねこ学かん代表の塩見志満子さんご夫婦の重い決断。
長男は白血病のため小学二年生で他界。
二男が小学三年生になったとき、この子は大丈夫と安心できたそうです。
しかしその夏、プールの事故で亡くなってしまいます。
休み時間に誰かに背中を押され、コンクリートに頭をぶつけてプールに沈んでしまったとのこと。
誰が押したのだ、絶対に許さないと、怒りがこみ上げます。
当然の感情です。
報道メディアが詰め掛けてきたとき、御主人が人目のない裏の倉庫に連れて行って話します。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん。わしら二人が我慢しようや。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」
この人は何を言うんやろうか・・・。
しかし、何度も強くそう言われ、言われるように、許しました。友達も学校も・・・。
いま考えたら、お父さんの言うとおりだった。
裁判して勝って、お金をもろうて、それが何になる。
許してあげて良かったなぁと思うのは、二男の命日、毎年欠かさず墓前にお花があること。
三十年たった今も毎年、友達が花を手向けてタワシでお墓を磨いてくれていること。
もし、あの時に学校を訴えていたら、お金はもらえても、こんな優しい人を育てることはできなかった、こんな人が生活する街にはできなかった。
心からそう思います。
<出典:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」藤尾秀昭編 致知出版社>
二〇〇〇年に起きた西鉄バスジャック事件で、幼児教室主宰者の塚本達子先生が被害に遭われ亡くなりました。
先生の財布の中にあったおみくじの言葉。
たとえ刃で刺されても恨むな
恨みはわが身をも焦がす
事件発生のとき、先生は自分の命が尽きることを察知したのかもしれない。
一緒にいて重傷を負った山口由美子さん(不登校を考える親の会「ほっとケーキ」代表)は、二〇〇五年に犯人の少年と面会しました。
その後出所した少年、もう二度と罪を犯さず一生を送ってほしい。
それでこそ、私の傷や後遺症、そして塚本先生の死も生きるのではないか。
こういう子供たちを生み出しているのは、他ならぬ我々大人社会。
少年法を強化したり、適用年連を下げたりしても何の解決にもならない。
少年を恨むどころか、少年こそ被害者だと、山口さんは言われます。
事件後、自分の子供たちがありのままにいてくれることに深い感謝の気持ちを抱けるようになったそうです。
息子さんは「お母さん変わった。何でも話せる」と言ってくれるそうです。
「何年も塚本先生に学びながら
ようやくその教えを真に理解できたのです」
<出典:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」藤尾秀昭編 致知出版社>
恕
いま一度、深く、一緒に考えてみましょう。
争いごとを生むだけの
未熟な指導者、独裁者
自反せよ
そして譲で和を築け