子曰わく、君子は德を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は惠を懐う。
(先師が言われた。「上に立つ者が自分の行いが徳に合することを思うのに対し、民はその土地に安んじて耕作にいそしむことを思う。上に立つ者が法制に適う政治を思うのに対し、民は上からめぐみを与えられることを思う。)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
組織の上に立つ者の目線は、部下と同じではいけません。
幅、高低、奥行、それぞれに大きさや深さが必要です。
その目線の軸、方向性は何を基準に決まるのか。
それは、その組織の大義がもとになります。
三人の石工の話、聞かれたことがありますか。
旅人が、石を切り出している三人の石工を見かけた。
旅人は問う。あなたは何をしているのですか。
一人めは食べるために働いていると
二人めは石工の仕事をしていると
三人めは教会を建てていると答えた。
すると四人めが現れて、人々の心のよりどころを作っていると。
この話の詳細はまたの機会に譲るとして、
組織の上に立つ者、つまりリーダーの目線は、
少なくとも三人めか四人めであることが望まれます。
組織が存在する大義、使命、志をもとに運営していくこと
これをないがしろにしてはいけません。
リーダーの目線の質は、メンバーの成長に大きな影響を与えます。
近年、巷では、人を伸ばすには褒めることが必要だとよく言わています。
しかし、少々行き過ぎた感も出ているようです。
例えば、褒めること自体が目的になっているような組織もあります。
褒められる側も、承認欲求の呪縛という厄介な心理状態の人が増えているようです。
人を褒めるのは簡単ではありません。
人を褒めるポイントは、今日の言葉、目上の者の目線のあり方です。
直接的に仕事ぶりや業績を褒めるのも悪くはないでしょう。
しかし、それらは毎日、あるいは毎月生じる事態であり、
良くない事態のときもあります。
それでも何か声を掛けねばと、言葉を変えて褒め続けようとする上役もいます。
しかし、そんな苦し紛れの意図を見透かされたら、褒める効果は減殺されます。
もっとも、そんなに気にかけてくれているのかということで、
相手は逆に動機づけられるかもしれません。
ところが、それは属人的な効果であるため長続きしません。
だからこそ、目上の者の目線の幅、高低差、奥行感、質の高さが必要となります。
小さな組織でも、大きな組織でも
リーダーは組織の大義をしっかりと把握することが必要です。
その大義のもと、いかに運営すべきかを思い描ければ
それに合致する現象を見つけることができます。
その現象を認め、褒めれば良いのです。
それには、部下・メンバーの考え方、取り組み姿勢、判断基準、言動など、
あらゆるものが手掛かりとなります。
「君のあの発言には、私も気付かされたよ。ありがとう。」
この一言でさえ、言われた部下は誇らしく感じられるでしょう。
広く、深く、高い質の目線からの承認であるほど
褒めることと、動機付け
その両方に効果が期待できます。
褒めて終わりではなく、褒めて伸ばす、この神髄を忘れてはなりません。
組織には大義が必要であり、
上に立つ者はそれを明確に捉えて仕事することが必要です。
そうでなければ、判断が浮遊、散逸し、
最悪の場合は有害なリーダーにさえなり得ます。
人生も同じではないでしょうか。
大義が無ければ、いつまでたっても人として成長できず、
周囲のせいだと不満を吐くだけ。
仕方なく周囲の環境を変えることで
受動的に自分を慰めることしかできなくなります。
しかし、それは望ましくはないはずです。
自分の人生の大義に沿うよう、自らを変化、成長させ
周囲の環境を能動的に変えていくことが望ましい取り組みです。
そこで問われること
では、あなたの人生の大義とは?