学に志す者、規模を宏大にせずば有るべからず。去りとて、唯此こにのみ偏倚すれば、或は身を修するに疎に成り行くゆえ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己に克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよと、古語を書て授けらる。その志気を恢宏する者、人之患いは自ら私し、自ら吝し、大なるはなし。卑俗に安んじて古人を以て自ら期せざるか。古人を期するの意を請問せしに、堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ、とぞ。
(学問を志す者は、その学問の分野を最初から狭くしぼらずに、広く学び、理想を大きくしなければならない。
しかし、ただ知識ばかりに片寄ってしまうと、身を修めることがおろそかになってゆくから、常に自分に打ち克って自分自身を律して修養することが大事である。
広く学び、しかも自分自身を律する、この二つの両立に努めよ。
男なら、自分の心の中にどんな人をも受け入れられるくらいの大きさ、寛容さが必要だ。逆に、人に受け入れてもらわなければならないような小さな人物になってはだめである。
そう南洲翁は言われて、昔の人の言葉を書いて与えられた。
「その志を大きく抱き、一つのことを進めようとする者にとって、最も憂えるべきことは、自分の事や利益のみを図り、けちで低俗な生活に安住してしまうことだ。そうならぬためには、昔の立派な人を手本として、自分からそういった人物になろうと修業し努めることである」
では、「古人を期する」、すなわち昔の立派な人を手本とするというのはどういうことですか、と南洲翁に尋ねたところ、「堯・舜をもって手本とし、孔子を先生にする、そういった考えで勉強せよ」と教えられた。
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
人格を高めようとする人
多くの人と和を図ろうとする人
様々な組織のリーダーという立場の人
多くの人への教えです。
狭い知識に偏らず、幅広く、そして高低差大きく視野を広げ、
人物として修養していくこと。
「器量」、つまり処世のための時務学では不十分、
人間力としての「度量」が求められ、
そしてそれを高めていくことが欠かせないということです。
そのためには、「故人を期する」ことが必要とのことですが、
このくだりについては訳者の解説をお借りします。
中国の伝説上の王である堯と舜、先に王であった堯は、優れた君主となる素養である「徳」を備えていると見込んだ舜に王位を譲り、それによって国が治まったという逸話が教えとして伝わっています。
儒教文化の影響を受けた東アジアの各国では、このように、世襲ではなく、有徳の人物に帝位を譲ることが理想化されたという経緯があります。
そして、孔子の教えを学ぶべきとしています。
我が国においても、色々な場面で世襲を見かけます。
政治家、事業、芸能、商売、一次産業など。
世襲が良いとか悪いとかは一概には言えません。
全て含めて、様々な継承において、
上手くいっているケースもあれば、逆もあります。
上手くいっていないケースには共通点があるように思います。
それは、引き継いだ人に徳が無いということです。
逆に、先代より徳があると認められれば上手くいっているようです。
政治や各種の事業などは、人々を幸せにする役割があります。
うちの家系こそと思う気持ちはわからないでもないですが、
一国の中で見栄を張る姿勢は、悲しく哀れに映ります。
あらゆる継承において、世のため人のためを願うのなら、
徳を備えている人物に引き継がせた方がうまくゆくはずです。
こんなやり方が世界に広がれば、
今よりも平和で幸せな世界になるのではないでしょうか。
「生きるには自力と同時に他力がいるのであります。」
<出典:「平澤興一日一言」平澤興著 致知出版社>
組織や事業を継続させていくには、周囲の人と協力し合わねばなりません。
一人では、何も生み出せません。
この世を良くしようと行動を続けるとき、手助けが来きます。
健全で正しい理想の実現に邁進してこそ、多くの人が支援してくれるのです。
そのためには、「徳」を備えることが必須であること、
これは疑いのない事実ではないでしょうか。