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COLUMNSブログ「論語と算盤」

目下には寛大に、目上に厳しさを

2021年10月26日

目付役は、大意の心得なくば害になるべきなり。目付を仰せ付け置かれ候は、御国御治めなさるべきためにて候。殿様御一人にて端々までご御見聞相叶はせられざるに付、殿様の御身持・御家老の邪正・御仕置の善悪・世上の唱ヘ・下々の苦楽を分明に聞召され、御政道を御糺しなさるべきためなり。上に目を付くるが本意なり。然るに、下々の悪事を見出し聞出し、言上致す時、悪事たえず却って害になるなり。下々に直なる者稀なり。下々の悪事は御国家の害にはならぬものなり。又きわめやくは、科人の言分立ちて、助かる様にと思ひて、究むべき事なり。これも畢意御為なり。〔聞書第一 教訓〕

(目付役をつとめる者は、大局的な立場に立たなければ害が出るものである。そもそも目付の役を申しつけられたのは、お国を治めるためである。殿様お一人では、隅々までを見聞されることはできないから、これにかわって、殿様のご素行、ご家老の邪正、行政の善悪、世間の声、下々の苦楽を、正しく聞きとって、ご政道を正していくのがそのつとめである。従って、上に対して厳しく点検することが本来の主旨である。

 これに反して、下々の悪事を見出し、聞き出しして言上するから、かえって悪事は絶えず、害を及ぼすのである。

 下々には真に立派なものとてはいないが、下々の悪事などは、別段国家に害をもたらすものではないのである。

 また罪人の取調べをする役のものは、罪人の言い分が通って、助かることをねがって取調べをするべきである。

 これも結局はお家のためである。)

<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

本書の解説によると、いわば監察官の心得とのこと。

 

現代に置き換えれば、首相、知事、市長などを支える行政の役人、

会社組織なら取締役などとなるでしょう。

 

 

 治国においては、世情を良く把握し、それをうまく活用、利用しながら、

ご政道を正し、人々の暮らしを良くしていくことが大切です。

 

 しかしその逆に、殿様や目上に対するご機嫌取り、忖度に終始し、一般民衆の意見に耳を貸さず、逆に悪事をわざと掘り起こして罰するようなことでは、世間を敵に回すことになります。

 

 そしてそれは、大した悪事などはたらいていない民衆が、

       やがて怨みと怒りを爆発させ、

組織体の転覆を狙うような犯罪に発展していく火種になります。

 

 

 

 要するに、目下への対応を寛大にするということは、

結局はお家、国、各組織体の維持のために欠かせない教訓なのです。

 

 

そして、厳しく監視すべき対象は、ご家老や行政、つまり為政者の側です。

 

 為政者が、自らの地位に安閑として、組織の在り様に無関心ならば、

もはや益無し、さらには有害と認識せねばなりません。

 

 

 

現代の会社や行政等の組織においても、全く同じことが言えます。

 

 あらゆる階層の管理職・マネージャーは、

      現場に直面している最前線の社員の声、そして顧客や市民の声から

次の有効なビジネスや施策のヒントを得ねばなりません。

 

 にもかかわらず、自分の出世や保身ばかりを気にして、

      上位職の目線に囚われるならば、組織をむしばむ存在となり、

やがて組織体自身も下降線、崩壊の道を辿るでしょう。

 

 組織の上層部がこの点を充分に理解し、

      管理職に意識させながら育てていれば良いのですが、

ちまたでは、上層部自らにその知見が無いというケースが多いようです。

 

 

 

経営のマネジメントは、国を維持発展させる為政者と全く同じです。

 

 

つまり、古典の知見を活かせない組織の上層部は小人かつ無能となるわけです。

 

 

 国民教育の師父と謳われる森信三先生の「修身教授録」では、

第32講「目下の者に対する心得」において、次のようなことが示されています。

 

 ・その人の人柄や人物については、目下に対する態度や言葉遣いで明らかになる

 ・目下の人に対して傲慢な人ほど、目上に対しておもねることが多い

 ・目上に馬鹿丁寧な人に限って、目下に対しては横柄な態度をとる

 ・このような人は、周囲からいかにさもしい・・・・人間と見られているかがわからない

 

 

 

世間の情勢に応じ、機を観て、ちゅうとなる施策によって、

永遠に続く国、組織を作ること。

 

このためには、「目上には厳しく、目下には寛大に」の構えが土台、核となります。

 

心しておかねばなりません。

 

 

 

  ※時中:易経で重んじられる言葉であり、「時にあたる」こと、「その時にぴったりの」という意味。

      「時流」とは相違する概念で、「時流を追う者は、時流とともに滅びる」とされる。

<出典:「人生に生かす易経」竹村亞希子著 致知出版社>