節義廉恥を失て、国を維持するの道決して有らず。西洋各国同然なり。上に立つ者、下に臨て、利を争い義を忘るる時は、下皆な之に倣い、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、節義廉恥の志操を失い、父子兄弟の間も銭財を争い、相い讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て国家を維持すべきぞ。徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、今は昔時戦国の猛士より猶一層猛き心を振い起さずば、万国対峙は成る間敷也。普仏の戦、仏国三十万の兵、三カ月の糧食有て降伏せしは、余り算盤に精しき故なりとて笑われき。
(節度を知り道義を守るモラル、恥を知る心を失うようなことがあれば、国家を維持することは決してできない。これは西洋各国でも皆同じであろう。
上に立つ者が下の者に対して、自分の利益のみ争い求め、人としての道を忘れてしまった時には、下の者もまた真似し、人の心は皆欲望だけを追い求めて金もうけに走り、いやしくけちな心が日に日に増してしまう。道義を守って恥を知る心、慎みを失って親子兄弟の間でも財産を争い、互いに敵視し、憎み合うようになってしまうのである。このようになったら何をもって国を維持することができようか。
徳川の時代は、武士の勇猛な心を忘れさせ、それで世の中を治め、長い間天下泰平を実現したけれども、時代は変わった。今は昔の戦国時代の武士よりもなお一層、勇猛心を奮い起こさなければ、世界のあらゆる国々と対峙することさえできはしない。
普仏戦争(1870~1871)の際、フランスが三十万の兵と三カ月の兵糧があったにもかかわらず、ろくに戦わずに降伏したという面目のない話があるが、これはフランスの指導者らが、あまりに金銭のソロバン勘定ができ、「自分の命と財産を守る」ことばかり考えたのが理由である、と言って(南洲翁は)笑われた。
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
上に立つ者の振る舞いは、知らず知らず下の者に影響を与えます。
上に立つ者に徳がある場合、下の者は自然に徳のある振る舞いになり、
逆に上の者が不徳者であれば、
下の者は徳の無い振る舞いばかりになってしまうでしょう。
家庭での親の振る舞いが子に伝わる、
スポーツチームでも、会社・組織でも、
そして一国においても。
上に立つ者の徳、そのレベル如何が、組織・国家の盛衰につながるのです。
上に立つ者の責任は、かように重大なもの
普仏戦争の話は、上に立つ者が自国の全人民に対する責務を忘れ、恥を忘れ、自己保身した結果とのことですが、西郷さんのように笑っていられないのが今日の私たちではないかと心配です。
この国を守るために、自己を犠牲にできるか、捨て石となれるか
この覚悟こそが一国要人としての必要条件、
時務学に長けただけの者がその役割を担うことの無いように、
慎重に人物そのものを見定める
易経では、人の上に立つ「大人」は、
他人に真似される人物にならねばならないとしています。
それは物事に処する姿勢です。
脚下照顧
自分の足元、身近なことに気を付け、
他に悟りを求めず、
自分の本性を良く見つめること。
常にこうありたいものです。