「子曰わく、之を道くに政を以てし、之を齊うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。之を道くに徳を以てし、之を齊うるに禮を以てすれば、恥ずる有りて且つ格し。」
(先師が言われた。「政令や法律だけで国を治め、刑罰によって統制すれば、民は要領よく免れて何ら恥じることがなくなる。道徳を基本として国を治め、礼(慣習的規範)によって統制すれば、自ら省みて過ちを恥じ、自ら正していくようになる。」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
2020年春から世界中に猛威を振るったコロナウイルス、日本でもマスクが不足していましたね。そんな時期に、とある地方議員が、自身が運営する貿易会社が在庫として持っていたマスクをインターネットオークションで大量販売したことがメディアに取り上げられました。
その議員は最初、正当な方法であることを主張していましたが、追及されるに従って道義的な配慮が不足していたと謝罪するに至りました。
今回取り上げた言葉そのものと言えます。自己の利益追求に注力し、合法的であることを主張して自らを正当化する姿勢。しかし、「徳」と「礼」という心がけがあれば、恥じるべき言動であったことに気づいたはずでしょう。もっとも、このような意識が根付いていれば、そもそもこんなことはしなかったでしょう。
人々と暮らす地域を護り良くするための議員、その立場にある者の振る舞いとして、多くの人が情けなさを感じたのではないでしょうか。
一方、法治国家としては、確かに適切な政令や法律が必要です。しかし昨今、そのような規制するための枠組み作りにばかり意識が向き、人としての有り方や生き方という考え方を、どこかに置き忘れているように感じます。
そしてまた有権者自身も、政(まつりごと)を司る者の適性を見極める眼力が弱まっているのではないでしょうか。
ただ、このような事態はわが国だけの現象でもないようです。
小さいころ、リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」、ジョン・F・ケネディの「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。」など、米国大統領の立派な志を習ったものです。
ところが、そのアメリカについても、特にトランプ政権下の状況はどうでしょうか。
このような世の中だからこそ、人々が互いに尊重して助け合い、
自らの生き方をより良いものにしていこうとする論語の教えを改めて認識し直したいものです。