「忿を懲し慾を窒ぐ」には、一の忍の字を重んず。「善に遷り過を改む」には、一の敏の字を重んず。〔耋六三〕
(『易経』にある「忿を懲し慾を窒ぐ」(怒りを消し去り、情欲を防ぎ止める)には、我慢をする「忍」の一字が重要である。「善に遷り過を改む」(人の善を見ればそれを行い、自らの過ちは改める)には、素早くする「敏」の一字が重要である。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
良く生きるには
なすべき事柄ごとに
心の置き方そのものの
要点があるということでしょう
ここでは、自分の怒りや情欲を抑えるには、忍、つまり我慢が必要とのこと
また、人の善を認め倣うことや自分の過ちを改めるには、敏、つまり素早く行うことがその要点とされています。
確かに、この論理を入れ替えると意味が通じません。
怒りを抑えるためには素早く行動せよ、人の善を認めるためには我慢せよと言われたところで何のことだかわからなくなります。
感謝の気持ちを伝えるにも、〝 敏 〟が必要でしょう。
後から伝えられるよりも、お互いの共感が高まり、気持ちも良いものです。
また、叱ることも同様に、〝 敏 〟が必要でしょう。
後から言われると、嫌な思いしか感じず、改善のための効果が薄れます。
一般的に、欲を抑えるためには〝 我慢 〟が求められます。
幼少期にはそういう〝 我慢 〟の必要性を感じさせられるのですが、少年、青年と歳を重ねても、同じように〝 我慢 〟するばかりでは進歩がありません。
そこで普通は、価値観の芽生えによって、自分の考えや思いに沿わない欲について、自分の心の外に追いやっていくことになります。
ただ、心から追いやる欲ごとの順番によっては、一定の年齢に達したとき、残された欲が鎌首をもたげ、抑えきれず、犯罪につながるようなこともあるようです。
欲や喜怒哀楽
これらの取り扱いは
結構難しいものです
人は欲が無いと成長できない、生きていけないなどと言われますが、これは道理ではないでしょう。
より良く生きることを念頭に置いていれば、怒りを鎮め、情欲と距離を置き、人の善を認め、自らを改める、これらのことはできるはずです。
成長から成熟へ
人生の道のりは
徐々に景色を変えていきます
自分はどうあるべきか
私たちそれぞれの人生に与えられた
問いでしょう