康誥に曰わく、惟れ命常に于てせずと。善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うを道う。楚書に曰わく、楚国は以て寶と爲す無く、惟善以て寶と爲すと。舅犯曰わく、亡人以て寶と爲す無く仁親以て寶と爲すと。
(康誥に「天命はいつもその人の上にあるとは限らない」とあるのは、善行を積み重ねて徳が高くなれば天命は自然に授けられるが、遂に悪行を積み重ねて徳が亡くなると意に反して天命を失うということを言ったものである。
楚書(今の国語の中の楚語)に楚国には特に誇る程の宝はないが、唯一つ宝としているのは善行を積む優れた家臣である。
舅犯(晋の文公の母方の伯父)が文公を戒めて「われわれ亡命中の者には、宝とすべきものは何もない。ただ親の死に仁の道を以て対することを宝とする」と言っている。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
良心の有無、そしてその度合いが問われているようです。
善は、人間社会における善い行ないや善い考えをさすでしょう。
仁は、自分の心を自覚した上で、他人への思いやりの気持ちをさします。
ともに〝 良心 〟から派生した、人にとって重要な思い、真心、価値観です。
もしも良心がなければ、人はどうなるのか。
恐らく、他人への攻撃や奪い合いという状況になると想定されます。
社会全体の調和を考えず、他人への思いやりもなく、自分の考えのみで行動するため周囲との軋轢が生じます。
そしてその軋轢を排除しようと、他人を攻撃することになります。
一方、人間社会は一人ひとりが分業し合って、生きるための道具や食材を作っています。
人は一人では生きていくことができないのです。
他人を攻撃するような良心の無い人はやがて孤立します。
道具や食材が得られないのなら、生きていくためには他人から奪取するしかありません。
先回紹介した内容どおり、本である徳を蔑ろにし、末である財を重宝する風潮、これを君主が作り出したり、民衆が醸成するのを抑制しなかったりすると、奪い合いが生じて悲惨な結果を招くことになります。
その国は消滅してしまうかもしれません。
逆に
良心を中心とした国家なら
人々は助け合い手伝い合い
自分の国を守ろうとするはず
このような理想郷を創り上げるけん引役は、やはり君主です。
君主自身が
良心を大事にする言動を示し
道理をわきまえた施策を行うこと
それによって
民衆から賛同を得て
国の安寧を実現できる
そのことにつながります
人類の宝は善と仁
この原理と道理
それを強く認識せねば
全てが消滅しかねません