子曰わく、我に數年を加え、五十にして以て易を學べば、以て大過無かるべし。〔述而第七〕
(自分に数年を加えて五十になる頃までに易を学べば、大きな過ちはなくなるだろう)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
思うに私は、五十過ぎまで時務学一辺倒だったようです。
心の中では、それは道理の観点からどうなのだとか、利益を得るための戦略としてはわかるものの、本当にこの組織が為すべきことかというように、人間学の領域で迷うことしきりでした。
しかもそれは、先人の知恵を借りるにしてもお門違いであったり、感覚的で偏った戯言であったり・・・
そう考えると、五十歳まで頑張ってきたとしても人生の及第点としては五十点が限界、残りの五十点となる人間学を深められていない以上、中途半端な人生経験でしかなかったのかと愕然とします。
そんな愚かな私にも、孔子は階段を降りてきて、手を差し伸べてくれているような気にさせてくれる、今日の言葉です。
皆それぞれ人生に後悔はある、ならば今からやれば良い、と。
明日死ぬかのように生きなさい
永遠に生きるかのように学びなさい
(マハトマ・ガンディー:インド独立の父 1869~1948)
間に合う、間に合わないなどという次元のお話ではなく、全ての営みが現在進行形です。
永遠に進化し続けることとして取り組むのです。
その途中で、身と心は亡くなりますが、意思、意志は残すことができます。
非力な凡夫なる私の願いは
祖国であるこの日本が
未来永劫に良くなり続けるために
少しでも貢献したい
何か一つでも役立つことを
残しておきたい
それだけです
そのためには
私自身が成熟し続けなくてはなりません
残すべき役立つことは
日常生活の様々な責務
高い領域の見識や知恵
力で立つものは力で滅びる
金で立つものは金で滅びる
徳で立つものは永遠なり
(山本玄峰:今白隠と称される名僧 1866~1961)
※ 出所:月刊『致知』2026年6月号