子曰わく、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみも亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し。〔述而第七〕
(先師が言われた。
「粗末な食物を食べ、冷水を飲み、肱を曲げて枕として寝るような貧乏生活の中にも楽しみはあるものだ。不義を行って財産や地位を得ても、自分にとっては浮雲のようなものだ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
この世に生まれてきた理由を感じること
これができる人は、質素な食事や寝床さえあれば、人生に問題はないことを理解できるでしょう。
一生の中で、最低限の衣食住があれば、自分を高め続けられるということ
ウサギとカメの話
なぜ、ウサギはカメに負けたのか。
それは、ウサギはカメに勝つために、カメのことばかり気にしていたから。
これだけ引き離しておけば大丈夫とのんびりしていたところ、コツコツと少しずつではあるものの、進み続けたカメに、知らないうちに抜かれたのです。
一方でカメは、ウサギのことなどお構いなし、眼中にありません。
ただひたすら、自分の決めた目標に対して、淡々と、一所懸命に進んでいっただけ。
カメにしてみれば、相手がライオンでもチータでも関係なかったのです。
自分が決めた目的に向かい
真っ直ぐ一心不乱に進んでいると
自分の中に絶対的な価値観が生じます
それを大切にしたい
他の誰かと見比べる
相対的価値観は不要
〝 天 〟は、競争せよ、弱いものを排除しろ、お前だけに特別な力を与えているぞ、などとけしかけるために、私たちを生じさせたのでしょうか。
いや
違うはず
この地上に〝 生 〟をたくさん授けた〝 天 〟は、全ての生命が助け合い、協力し合い、お互いが成長し、自分を高めて、良いこの世、美しいこの世を創ってほしいと願ってこそだと思います。
それなのに人は、自分の欲望を満たすことに血眼です。
そんな一時的な悦楽に何の価値があるのでしょう。
“ 僥倖(偶然の幸運) ” を試練として受け止めることができますか
具体的には、財、地位、持って生まれた才能など、これらを得ることは一つの試練です。
つまり、試されているのです。
調子に乗って驕り高ぶるのなら、いつまでたっても “ 幼く拙い生き物 ” でしかありません。
自らの全てを開示し〝 天 〟に問う
〝 天 〟と一つになれるよう試みる
目を向けるべきは自分の存在
そもそも
自分の意思で生まれてきたのか
否
では何をするべきか