子曰わく、觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。
(先師が言われた。
「元来角のあるのが觚であるが、今は角がとれて円くなった。角のない觚が觚であろうか。角のない觚が觚であろうか」)
※礼制の乱れを嘆かれたものであろう。
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
孔子の悲痛な嘆き
吉田公平氏の著作には、次の補足解説があります。
「本来、かどのある酒器を觚という。かどがない酒器はもはや觚とはいえない。それにことよせて、孔子が当時の政治社会が有名無実に陥っていることを慨嘆したのだという。短い語録なので、この言葉がいかなる状況で発せられたのかは不明であるし、本当は、どういう意味の言葉として門人が記録したのかは、もはやわからない。ただし、文気からして嘆きの言葉であることは確かである。」
<引用:『論語』吉田公平著(たちばな出版)>
古今東西、力による政は、間違いなく争いへと進んでいきます。
力で国を治めた者は、外国や国民から侮られることを恐れ、その力を適時に人々に見せ付ける必要性に迫られるからです。
日本は、戦国時代を経て江戸時代を迎えました。
この江戸時代が天下泰平と評されるのは、徳川家康による世の作り方、統治の仕方が優れていたからでしょう。
家来や大名たちを煙に巻くようなこともあり、「タヌキ」と呼ばれたりもしたようですが、人の評価・扱いが上手く、争いを抑制し続けたのです。
立派な人物としての侍や
筋の通った考えの者など
その意見に対して耳を傾け
たとえ敵方であっても承認する
決して弱腰な対応ではなく、懐深い英断であったのでしょう。
徳川家康は、智恵のみならず、人心掌握術に長け、また人徳も備えていたことが察せられます。
この天下人としての在り方は、その後明治、大正へと影響を与えたのでしょうが、現在においてはその欠片さえ見出すことが困難です。
今日の言葉と
孔子の心境に近い人
少なくはないでしょう
やはり、一国の政には、徳と知恵、そして正義と覚悟が求められるものです。
聡明であるとか、弁が立つとか、知識があるとか、経験があるとかは、政においてはお飾りにすぎません。
何となれば、日々変化する周囲の環境や世界状況において、意思決定のその瞬間に見本や手本はないのですから。
常に
自らの責任において
決断して進むしかないのです
ただしそのとき
〝 徳 〟が〝 力 〟よりも
上位になければ
真の平和・幸福には
辿り着けません