我れより前なる者は、千古万古にして、我れより後なる者は、千世万世なり。仮令我れ寿を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間のみ。今、幸に生れて人たり、庶幾くは人たるを成して終らん。斯れのみ。本願此に在り。〔晩二八三〕
(自分の生まれる前には千万年の遠い過去があり、自分より後ろにも千万世の遥かな未来がある。たとえ自分が百歳まで生きようとも、悠久なる宇宙の中ではほんの一呼吸するぐらいの短い時間でしかないだろう。
今、幸いに人間としてこの世に生まれてきた以上、人間としての使命を全うして一生を終わりたい。これだけである。自分の一生の念願はここにある。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
デジタル時代の真只中を生きる人たちにとって、20世紀以前の世界など想像もつかないのかもしれません。
これからは全く新しい世界が拓けていくのだと期待し、そこにやりがいを求めている人も少なくないでしょう。
他方、有史以来、変わらず同じ状態で存在しているものもあります。
その代表格は〝人の心〟ではないでしょうか。
農業革命、産業革命、IT革命と、私たちの外部に生じる物質的な変化はダイナミックに映りますが、人の内面を観ると、古代の人々と何ら変わっていないと言っても過言ではないでしょう。
変わること
変わらないこと
その両面を理解し
見定めて
そして自分の道を進む
大事なことと感じます
今日の言葉は、巨視的な観点と微視的な観点からの人生の捉え方というものを改めて思い起こさせてくれます。
宇宙が生じて138億年、地球が生まれて46億年、生命が生じて38億年、ホモ・サピエンスが誕生して20万年、と言われます。
それに対して
人の人生はたかだか100年
巨視的にはあっという間
流れ星ほどもない
儚い時間
それでも人は自分の人生をとても大切に思っています。
自分の人生を良くしようと、努力し、仲間を作り、挑戦し、挫折し、諦め、立ち上がり、・・・
私たちは日々を営んでいます。
微視的には
全ての人が幸せになりたいと願い
それこそ一所懸命生きています
巨視の観点と微視の観点では全く違った様相になりますが、相通じるものが感じられます。
それは、
一人ひとりは
なんらかの意味を持って
生まれてきているということ
そしてまた、
一人ひとりは
この地球上にたった一人
唯一の存在であり
他者とは明らかに違う
独自の個性を持っていること
どんな見方があるにせよ
自分だけが持つ
独自の個性を活かし
生き抜いていくこと
それが大切